【はじめに】
新生児医療の進歩により以前は助からなかった小さな未熟児や病気の赤ちゃんが助かり、
新しい命を授かった家族がいるのは事実である。大半の赤ちゃんは元気にNICUを退院していくが、
どんなに医療が進歩しても救えない命はあり、重症仮死や致死的な異常などで呼吸器を外せない赤ちゃんは一定数存在する。
自分で意思表示ができない赤ちゃんの医療をめぐって倫理的判断が求められている。
【周産期の倫理的対応の特殊性と問題点】
周産期に倫理的判断が求められるものとして先天異常、重症新生児仮死、生存限界にある超低出生体重児などがあげられる。
周産期は大半の先天異常が見つかる時期であり、また重症仮死などで脳に障害を受け重篤な後遺症を残す赤ちゃんもいる。
先天異常の赤ちゃんにどこまで治療を行うのがいいのか?
また、呼吸器が外せず意識の戻らない赤ちゃんの医療をどこまで行うのがいいのか?が問われている。
赤ちゃんは自己決定ができない。
受ける医療は親権者である両親の意思決定に依存するため、両親の価値観や倫理観の影響を受ける。
生直後は親子の十分な絆が形成されていない時期であり、決定に困難を生じる場合がある。
【子どもの最善の利益とは】
倫理的判断にあたっては「子どもの最善の利益と幸せ」が最も重要であることには異論がない。
カナダ小児科学会倫理委員会は「子どもの最善の利益」とは、一定の方針による治療を行った結果、
生じうる利益と危害または苦難を比較衡量したものであると述べている。
日本では埼玉医科大学の田村先生を中心に「重篤な疾患を持った新生児の医療をめぐる話し合いのガイドライン 」が作成された。
これは、「こどもの最善の利益」を中心に医療チームと家族が情報を共有し医療を選択していくことを目指している。
治療開始時には児の予後の見通しが正確に立たないこともある。
また、両親の気持ちは常に揺れ動いており、話し合いを繰り返して行い、時間をかけて家族の意思決定を援助していく必要がある。
超音波を始めとする出生前診断によって胎児の多くの異常が診断されるようになった。
異常を持つ胎児とその母親に対しても倫理的対応が求められる。
2004年にLeuthner SRにより胎児緩和ケアの概念が紹介された。
これは、救命できない異常を持つ赤ちゃんに対して、延命のみをベストとするのではなく、
児の最大の利益、尊厳、権利を中心として両親とともに赤ちゃんへの対応を考えて行くものである。
両親が命の尊厳に立って治療変更や中止を決定し「緩和医療」や「看取りの医療」に移行した場合、
家族の悲嘆のプロセスと赤ちゃんの死を支援することが重要である。
【おわりに】
障害があっても愛されて大きくなっている子ども達はたくさんいる。
また、障害=不幸と考えない家族もたくさんいる。
大切なことは赤ちゃんの命の長さだけでなく、家族の中の命としていかに愛されたかではないかと思う。
新生児医療を始めた頃、ある家族のおばあちゃんが障害のある孫をみて言った。「この子は福子だ。」と。