医療と倫理を考える会・広島
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第81回例会


開催年月日   テーマ  話題提供者
81 平成27年10月15日 生殖医療の倫理 原 鐵晃 先生


生殖医療の倫理



県立広島病院 生殖医療科 主任部長
 原 鐵晃


 生殖補助医療の歴史は、1978年にイギリスで史上初の生殖補助医療による女児が誕生したことから始まった。わが国でこの医療により最初の児が出生したのは、5年後の1983年である。その後、技術の進歩とともに治療周期数は増加し、わが国では2013年の1年間で37万周期に達している。それとともに出生数も増加し、2012年には37,953人の生児を得ている。この年の日本全国の出生数は1,037,231人なので、これは全出生児の3.7%にあたり、実に出生児27人に1人が生殖補助医療で生まれた計算となる。生殖補助医療はこれほど一般的な不妊症に対する治療法となったが、技術的課題および生命倫理に関する課題がなくなったわけではない。技術的課題の最大のものの一つは、1回の治療周期あたりの平均生産率が10%以下と低いことであるが、このことには今回は触れない。今回は、生殖医療に内在する倫理的課題について考えてみた。


 医療における生命倫理の原則はビーチャムとチルドレスが提唱した自律、善行、無危害、正義の4つであり、なかでも「自律」が、近年は強調される傾向にある。しかし、生殖医療においては、いかに自己決定に基づく診断・治療であったとしても、生まれてくる子供から同意を得ることはできない。この観点から、生殖医療において最も守るべきは生まれてくる子の福祉である、という視点が重要であることをまずは強調したい。


 ところで、生殖補助医療は、受精できる精子・卵子と受精できない精子・卵子、胚盤胞になれる胚となれない胚、着床できる胚とできない胚、凍結できる胚とできない胚など、配偶子(卵子、精子)、受精卵、胚などに対して「選択」と「選別」を常に行っている医療とも言える。この「選別」の問題は胚・胎児に尊厳があるのかという問題と深く関わっており、生殖医療、特に先端医療である着床前診断と出生前診断(妊娠22週未満)の生命倫理的問題を考える時に避けて通ることができない。


 ヒトはいつから人になるのであろうか、もしくは、人になると考えられているのであろうか。この問いに対する答は時代・宗教・地域により大きく異なっている。キリスト教では受精の瞬間から人と考えるが、多くの生物学者は受精後14日(原腸形成の開始)からと考えている。日本の民法上は妊娠22週未満は流産、すなわち母体と独立しては生存できないと考える。このことは堕胎と人工妊娠中絶をどのように考えるかという問題と関連している。堕胎は「自然の分娩期に先立って人為的に胎児を母体から分離させること」と定義され、胎児の保護を目的として、刑法214条で、医師、助産師、薬剤師又は医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、又はその承諾を得て堕胎させたときは、3月以上5年以下の懲役に処せられる。しかし、都道府県を単位とした公益社団法人たる医師会が指定した医師が母体保護法(以前は優生保護法)第14条に基づいて行う堕胎は罰せられない(母体保護法による違法性の阻却)(35条)。この時、着床前(胎盤形成前)の胚や、子宮に移植する前の体外受精卵や子宮に着床する前の胚は「胎児」には含まれない。


 胎児になる前の「胚」とは何であろうか?平成12年12月6日クローン技術規制法が制定されたことにより、ようやく日本でも「胚」の法的地位が確立された。それによると、あって、そのまま人または動物の胎内において発生の過程を経ることにより、1つの個体に成長する可能性のあるもののうち、胎盤の形成を開始する前のものとされる。


 生殖医療に関する法規制は歴史的文化的背景の違いにより国毎に様々であるが、フランスでは、1994年、生殖補助技術をめぐる諸問題が「社会全体に関わる根本問題である」とされ、一般的コンセンサスを基礎として所謂「生命倫理法」が制定された。その後、定期的に見直しが行われ2011年にも改訂されており、いまだ法律の制定にいたっていないわが国とは際だった対比をみせている。


 このように考えてくると、生殖医療の立場からは、子供をもつ権利が優先され胚の尊厳は制限されていると考えざるを得ないが、「胚」は個々の状態や検査結果を問わず、将来人になりえたかもしれない人の萌芽として丁重に取り扱われるべきと考える。







県立広島病院 生殖医療科
http://www.hph.pref.hiroshima.jp/sec/shinryouka/seishoku.htm




 

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