審査から見た真実の行方 - 新しいパラダイムシフトの方向性 -
日本赤十字社中四国ブロック血液センター 所長
土肥 博雄
私は現在、広島県診療報酬支払基金の審査委員をしております。診療報酬の審査と言う目線で医の倫理、医学に於ける真実、医療の変革、保険医療の在り方に関する新しい概念の構築、というテーマで講演し、併せて自らの考え方も纏めてみました。
患者さんを診療している立場から言えば、出来るだけ査定と言う行為は無いようにしたいのは山々ですが、算定ルールもあり、また、どう考えても理屈が通らないレセプトが査定されることになります。
まず、昨年8月に行われた「基金フォーラム」で話した審査の実際からです。
審査支払機関である社保、或いは国保で行う審査を経なければ診療報酬が医療機関に支払われない仕組みであるため、審査機関は大変な権力者ということになります。事実、社保では請求された金額の0.285%は査定されています。
審査で苦悩する諸問題とは、審査は一人の審査委員が一枚のレセプトで判断し、結論を出すことです。勿論、審査委員間同士での意見交換は大いに推奨されるものの、苦しいことではあります。
しかし、査定することで診療する医師が大変難しくなる事は避けなければならない、と言う気持ちと、ルールを無視するのか、と言うことの葛藤が常にあります。
その中で新しく認可された薬剤や医療材料は、余りに高い保険点数が設定されていることが心配です。
卑近な例では、C型肝炎の治療薬は一錠が8万円を越えます。これを毎日12週間服用するのです。この薬はC型肝炎ウイルスの除去率がほぼ100%ととても高く、この薬剤の存在を知ったら使わないわけにはいきません。同様に、高額の薬がリウマチ、白血病、大腸がんで開発されて使われています。更に、現在治験が進行中の薬剤は50~80以上に上ります。
この高騰する医療費はこれまでのパラダイムを根本から変えなければならない事態を予感させます。
副作用が少なく、とても良く効く薬があり、とても高価である場合、使用するかどうかの判断は誰がするのでしょうか。保険で全て賄うのでしょうか。個人負担を考えるのでしょうか。医師としての良心と倫理感はどう働くのでしょうか。
回答不能の設問が続きます。さて、真実とは何なのでしょうか。
古今を探してみても、真実の行方は変ってきています。(1000年単位で考えた場合)
キリスト教もしかり、古代ギリシャ哲学からアリストテレス以後の哲学は、はっきり変っています。(ニーチェ、ハイデガー)
古代より変わっていないのは東洋哲学でしょうか。
解決策がないまま疑問が続きます。この辺でパラダイムシフトの変遷が送るのではないかと思う所以です。
日本赤十字社中四国ブロック血液センター
http://www.csk.bbc.jrc.or.jp/