仏教における「医」について
曹洞宗八屋山普門寺 副住職
臨床心理士
吉村 昇洋
仏教典籍のひとつ『大般涅槃経』第二五に、釈尊の行いとして「応病与薬」という言葉が出てくる。これは、訓読では「病に応じて薬を与う」となり、この文脈では「名医が病気にふさわしい薬を与えるように、釈尊は人々の心の病に応じてふさわしい教えを説く」という意味になる。そうした故事から、釈尊を指して「医」の文字があてられ、「大医王」と称される。
では、釈尊は、実際にはどのようなことを説き、人々を救いに導いたのか。およそ2500年も前の思想が全世界で今なお受け継がれ、実践されているわけであるが、仏教がこれだけ広がっている日本にあって、その思想・実践について深く知るものはほとんどいない。
そもそも、仏教とは「現実世界をどのように認識するか」を問うたものである。釈尊が覚りを開き、初転法輪(最初の説法)で説かれた四法印・四聖諦・八正道などは、まさにそういった内容であった。
四法印では、万物は変化し続け(諸行無常)、さらにそれらは関係性によってしか成り立たず(諸法無我)、ましてや自分の思い通りにならない(一切行苦)。そうした現実を受け入れてはじめて安楽の境地に到ることができる(涅槃寂静)と説く。
四聖諦でも、生きることは本質的に自分の思い通りにならない(苦)、その原因は己の心の持ちよう(集)、己の心の持ちようが変われば苦は滅す(滅)、苦から逃れるのではなく、苦と向き合う道を進もう(道)と説き、その具体的な道として八正道を示している。
八正道とは、正しいものの見方(正見)、正しい思考(正思惟)、正しい言葉(正語)、正しい行為(正業)、正しい生活(正命)、正しい努力(正精進)、正しいマインドフルネス(正念)、正しい禅定(正定)の8つの普段から心がけなければならない営みを指す。
これら四法印・四聖諦・八正道の理解・実践を通して、悩める個々人を救いに導いてきたのが仏教の正体であり、現実そのものと自己がどのように関わって生きるかを説いたものと言える。となれば、これは宗教の違いによって否定される類のものではなく、人間であれば誰でも抱える課題について問題にしているわけだから、誰一人として例外ではない。
最後に、講演タイトルは『仏教における「医」について』であるが、医者ではないわたしが仏教思想の中から“医”に関する要素を抽出してご紹介することなど、おこがましすぎてできるものではない。では、なぜこのようなタイトルにしたかと言えば、講演を聴いてくださった医療者たる皆さま個人が、ご自分の医療活動の中で活かせる考え方を「仏教」の中に何かしら見いだして頂ければとの思いからであった。実際、質疑応答の際に、活発にご意見ご感想を頂戴したことからも、「医療と倫理を考える会・広島」の皆さまが畑違いの仏教のお話に関して、主体的に聴いてくださったのだと深く感謝する次第である。
曹洞宗 八屋山 普門寺:
http://www.zen-fumonji.com/