医療と倫理を考える会・広島
本文へジャンプ

第94回例会


開催年月日   テーマ  話題提供者
94 平成29年12月21日 肺がん治療に見る医療の変化と、医療の選択 有田 健一 先生


肺がん治療に見る医療の変化と、医療の選択

三原赤十字病院 呼吸器内科
 有田 健一

 国立がん研究センターがん対策情報センターによる2017年の我が国の全がん死亡者数は、男女合計で378,000人、部位別では肺がんが78,000人を占めてトップとなるという。広島県でも同様の傾向で、肺がんは臨床上重要な位置を占める。その肺がんは、最近30~40年の間に臨床病理学的に大きな変化を遂げた。全体の85%前後に及ぶ非小細胞肺がんの中で、扁平上皮癌が減少し、腺癌が増えたのである。

 肺がんによる死亡を減らすことを目指して、広島県では早期にこれを発見し、治療効果の証明された治療を確実に行うことで目的の達成を図ろうと、2010 年に肺がん医療ネットワークを構築した。検診段階で低線量胸部CTを導入する検討を行い(現在三次市でモデル的に実施中)、手術不能あるいは再発例に対して白金製剤と第3世代の細胞障害性の抗がん剤による標準治療の推進に努めてきたのはその活動の一環である。ちなみにそのレジメンによる非小細胞肺がんに対する奏効率は約30~40%で、無増悪生存期間が約5ヵ月、生存期間中央値が約1年とされていた。

 しかし2002年に登場したゲフィチニブに代表される分子標的薬や、2015年に承認されたニボルマブに代表される免疫チェックポイント阻害薬による治療は、従来の肺がん治療を大きく変えようとしている。

 分子標的薬はがん細胞における遺伝子変異や異常血管新生などがん関連事象に関係する因子を標的として、変異に伴う増殖や関連事象を制御することで高い抗がん効果が得られ、しかも使用前から効果発現患者の選り分けが期待できる。従来の白金製剤と第3世代の細胞障害性の抗がん剤(CBDCA + PXT)に加えて血管内皮増殖性因子に対するモノクローナル抗体の分子標的薬であるベバシスマブを併用した私たちの非小細胞肺がんに対する成績は、奏効率が76%、無増悪生存期間中央値が8.4ヵ月、生存期間中央値が22.2ヵ月となっている。従来の細胞障害性の抗がん剤でみられた吐き気や脱毛など強い副作用は減少し、下痢や皮膚の障害あるいは致死的な間質性肺炎など特異な副作用が知られている。ただ10~12ヵ月の使用で耐性が生じるという。

 一方、がん細胞は本来活性化Tリンパ球によって排除されるはずだが、Tリンパ球が免疫機能の暴走を防ぐために具備していると考えられるPD-1に対して、リガンドであるPD-L1を有することによってTリンパ球の攻撃を避けてがん増殖につなげている。免疫チェックポイント阻害薬はこのPD-1 あるいはPD-L1に対する抗体としてこの免疫逃避信号を遮断することで、がん治療に寄与する薬剤である。この免疫機序による薬効はこれまで手立てのなかった各種疾患で証明され、耐性なく使い続けられる可能性も指摘されている。ただ免疫系の過剰反応としての甲状腺障害や間質性肺炎、下垂体・副腎系の異常など思わぬ副作用に出会うこともあるようで、診療科の枠を越えたチーム医療の必要性も叫ばれている。

 もちろん全ての遺伝子変異に対応する薬剤が存在するわけではない。しかし、遺伝子変異に最も対応した薬剤、あるいは免疫チェックポイント阻害薬を使用する医療(Precision Medicine;精密医療)によって、臓器・組織型を踏まえた治療戦略や病期による治療戦略の概念を越えて、肺がん予後の延長が期待されている。とは言えこれらの薬剤は高価で、その使用も適応病名や使用基準によって制限を受ける。その上、未だ完治に導く薬剤ではない。こうした医療環境や薬効を理解した上で、医師は患者のプライバシーに配慮しながら、正確な診断によって臨床医学的に最善の対処法を患者に提示し、関連する情報を十分に提供する必要がある。一方、患者は疾病について学び、自分の価値観に従って将来の生き方を考えながら、提供された情報を踏まえて医療に対する希望や思いを語るべきである。その上で、経済状況や生活の質・生存の質も考えながら、家族や、医師を含む医療関係者と話し合い、具体的な医療選択に臨むことになる。その際に、アドバンス・ケア・プランニングは自分の思いをまとめる手順として利用できるはずだ。自分の人生は自分で決めることが求められる時代となったのだ。

 一方、高齢社会に伴う医療費高騰に加えてこれら遺伝子変異に基づく高価な治療によって医療体制を支える国民皆保険制度の崩壊が危惧されている。しかし財政規律の維持が図られる限り乗り切れるはずだ。その分、医療サービス提供者は負担を強いられる可能性が高い。分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬に関しては、今後も薬価の増分の費用効果比に配慮しながら適応拡大や新規の薬剤の保険収載を進めると同時に、それらを用いた医療をがんゲノム医療中核拠点病院に限る医療とするなど、薬剤へのアクセスの制限にも取り組むことになるかもしれない。国民的議論が求められている。

(まとめ)

  1. 分子標的薬や免疫チェックポイント阻害薬に代表されるがん治療の進歩によって、予後の改善につながるよりよい選択肢が増えている。
  2. 我が国では治療効果の判断にあたり科学的エビデンスへの傾斜が大きく、まだがん患者の生活の質、生存の質への配慮が十分とはいえない。しかし人生の質の評価、1年生き延びることの重み・重要さのとらえ方は個々人により千差万別で、その基準を示すことは難しい。
  3. 患者自身が「自分の人生をどのように生きたいか」、考えを表明する場があるべきだ。医療の選択は患者の思いを重視すべきであり、家族や関係する医療者を含めた話し合いが道を開くだろう。その際、アドバンス・ケア・プランニングは利用できる手順である。
  4. 医師は疾病に対する十分な情報を提供し、多面的な生き方や考え方を提示して、患者の人生の支援に当たるべきである。
  5. 国は国民の幸せと医療を守る立場から、医療の費用対効果に目を配りつつ生存の質にも配慮したシステム(医療提供体制、診療報酬提供体制)の確立を図るべきである。





三原赤十字病院:
http://mihara.jrc.or.jp/




 

Copyright:医療と倫理を考える会・広島